読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自分、無粋ですから

それを言っちゃあおしめえよ。

物事の奥義とか極意とかコツとか

他人に何かを教えるとか、プレゼンテーションをする立場になることが時々あるけど、結構その理論は自分の中で固まっている。どんな風に内容を噛み砕くかとか、視覚に見える物をどう用意するかとか。でも自分の方法は、わりと、今は何もよくわからない初心者な人に興味を持たせて、とりあえず動いてもらえる様にする方法に特化していて、ある程度頭の中身が固まり始めた中級からのステップアップ等には全く向いていないことを自覚している。
中級者になると一度伸びが止まるのはよく言われることだし事実だと思う。そこからの伸びには、壁を破る為の何らかの奥義や極意みたいなものに到達する道をひらめく必要がある。こと、情報過多の現代においては奥義を使った結果や奥義そのものの、その途中経過の情報は山程あるが、それによって起きる混乱はひどいものだ。なぜ混乱が起きるのかは、以下の理由ではないだろうか。
技術や作法には、

  • きっかけとしてどうしても必要な物
  • 何らかのレベルに達したら、自然にそれを行う物

がある。必要なのは前者であり、習得や気付くのが難しいのも前者である。後者は、いくらその情報があっても本当の結果に結びつかない。だから混乱が発生する。この前者を行えるのが上級者であり、教えられるのがよい教官(ニュアンスとしては先生というよりは教官かな)なのかな。
例え話として分かりやすい例は出てこない。ただ、必要なポイントは必ずしも「見た目に」上流側にある訳ではないので、それを見つけるには物事の要因解析能力に依存するか。色を作るには三原色が必要とか、二足歩行に重要なのは脚を出すことじゃなくて、一度直立状態から重心を前側に崩すことが肝になっているとか(そうすると脚が勝手に前に出て歩く体勢になる。バランス感覚はそのうち勝手についてくる。バランスを取ることや脚を出すことを意識しても歩くのは困難)、そういうこと。結果としてそうなっている様に見えて、実はその部分を意識すると全体がうまくいくこともある。うまく表現出来ないが。
そんなことを、昨日あることを指摘された時に、あまりにもその指摘が意外であり、かつ的確でいろんなことがドミノ倒しの様に明るくなったので、その指摘の本質が何なのかを考えて結論付けた。これは単なるメモ。


そういえば、こういう事が言論やマネジメントの分野で出来る人は、いわゆる仕掛け人になっていくのだろうな。