読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自分、無粋ですから

それを言っちゃあおしめえよ。

きちんと学びたい大人のための言葉の暴力入門

彼氏・旦那からの「DV被害者」を公言する女性の多くが、「言葉によるDV加害者」。

これに対して、大人であるid:finalvent氏が一撃必殺。

 見方によっては、ぜんぜんむずかしくないわけで、言葉の暴力は、感じ方の問題だし、男の感じ方が問題なのだから、男の問題でしょ、FA

そうじゃないっていうのは、男の問題であることをそらすためでしょ、そういう考え方は(中略)FA
まあ、そんな感じかな。
引用部がアレなので、氏の話の本筋は全文最後まで読んできちんと理解してほしいが、「個人の内面の問題」と置き換えた上でこの部分はこの部分で、理屈の通りづらいリベラリズム以外での否定はまず不可能である。

そもそも言葉のやり取りとは何なのか?

以下の結論は当エントリーの論旨の根底であり、早計に判断せず全文を読んでからもう一度思い出して欲しいが、限界まで単純化して見ると言葉による暴力とは、秩序を乱す様な精神性を持った人を抑圧、または排除して社会を守るために振舞われる。自尊心の破壊の死合いなのだ。本人にその気があってもなくても関係ない。それは本人の内なる考え方の差に過ぎず、結果ではない。
もう少し幅を広げるなら、言葉によるやり取りとは精神的に弱い方に何らかのアクションを取らせる行為と言える。その結果は、相手の行動となって表れるのだ。全ての例において、

  1. 入力された言葉を解読する
  2. その言葉に従う事に納得、または何らかのアクションを起こす事を決意
  3. 決定した行動を起こす

というプロセスを通り、命令、指示、提案、交渉、話し合い、ゴリ押し等々これらの単語は、主観の集まりとしての相対的客観視から見た属性を示した単なる名称に過ぎない。

「精神的に弱い方に何らかのアクションを取らせる」具体例

この「精神的に弱い方」とはわりと幅が広い事を指していて、一般的に思われている事の真逆の様な、しかもタイムリーな例を示すと、
モンスターペアレントなんてものもちゃんと当てはまる。
あれも、単に立場の差などを絡めた言葉の暴力の撃ち合いに過ぎなず、弱い方が意見を通させられているだけに過ぎない。決して彼らが弱くて幼稚なのではなく、現時点では強者である。
そこで、彼らに「おまえが弱くて幼稚なんだ」とレッテルを貼ることこそが、まさにカウンターの言葉の暴力なのだ。この言葉によって賛同者を増やし、心を強化して攻撃の力を高め、モンスターペアレントの心はその言葉の暴力によって打ち砕かれるかもしれない。でも、そうではないかもしれない。そこは、どちらかの自尊心というか「我(が)」を張り続けられなくなる所まで続く。
言葉の暴力の撃ち合いなぞ、ネットでもよくある風景だ。といってもネット独自のものではないし、何ら特殊性も感じない。誰かに愚痴や批評を吐き賛同者を集めて盛り上がることなど、どこでも行われている。それを冗談という言葉で片付けるのは単なる逃げで、口から出た言葉には、言霊というとオカルティックだが単語には設定された固定の力がある。それは絶対的で誰にも変えられないので、後は受け側の防御や回避力次第となるのだ。
そんな愚痴などに対してアクションを起こすのは弱い人であり、酔狂として軽くスルーするかツッコミ返すのが大人。反応しようものならば「痛い人」「使えない人」などという、さらなる追撃を加えられる例だって少なくない。
悪い噂で価値が落ちる人は、元々価値の無かった人、なんて言い方も可能だろう。この手の言葉の暴力は指数的な攻撃力の上昇をもたらすので、カウンターとして名誉毀損罪なんて罪が認められてはいるが、それほどガッチリとカウンターがいつも当たる程の認識は、ほとんどの人の心には無いだろう。それは当然真実とイコールである。
昨日のエントリーだって、全く同じ事しか言っていない。

何故、精神攻撃は当人の問題に帰結されるのか

前段を仕切り直して定義するが、では、何故肉体の暴力はダメで言葉の暴力はわりと広くやっても構わないことになっているのかと言うと、

  • 効果が目に見えないから、本人にしかわからない。傷みや痛みを簡単には客観的に観測できない。
  • 旧来的な宗教観を排除すると人間の終わりは死なので、その忌むべき死を直接もたらす様な危険性が精神攻撃にはない。言葉で直接臓器が破壊されて死んだりする事は無く、自我を完全になくしてリモコンで「死」ボタンを押す様な死に方もさせられない。生殺与奪権が当人にある。
  • 社会生活上問題になるほどの弱さになるラインは、精神の方が圧倒的に低い。肉体は多少ドツかれても大丈夫なラインは格闘家クラスで、耐えられる人間がレア。一方、精神は多くの人で問題にならず、精神の才能が人並以下、具体的にはスルー力が足りないとか自尊心が強いとかメンヘラ気質様な人間以下のラインになり、耐えられない人間の方がレアである。基本的にマジョリティを尊重するのは、人類が歴史の中で築き上げてきた合理的な秩序である。

という理由による。精神ダメージについて同情・賛同を得がたいという言い方もできるが、それではちょっと言葉の範囲が足りないだろう。「起きた現象に対して同情・賛同していいかどうかの判断が、現状では精神が目に見えない人類には極めて難しい」という言い方の方が近い。
変な言い方だが、肉体の暴力が言葉の暴力程度にやってもOKとなるには、肉体攻撃を簡単にチャラにできる「仙豆」の様な存在が必要だろうね。ほぼ誰でも人力の攻撃程度では破壊されない鋼の肉体を手に入れた世界か、ほぼ誰でも一瞬での肉体の自己再生がモリモリできる能力を人類が得た世界でもいい。
つまり言葉の暴力が大々的にNOとなるには、

  • 「おまえアホちゃうか」と言っただけで、言われた人がヘナヘナ〜としなびて死んでしまう。
  • 嫌味や意地悪なほのめかし、愚痴や説教や命令をしただけで、その人がその言葉通りに行動したり過激な反応をしてしまう。

なんて人類ばかりになってしまう事が条件となる。肉体の暴力は、大人の力で殴ったらほとんどの人は痛くてヘナヘナしてしまうし、殴れば肉体は物理法則にしたがって破壊を起こしてしまうよね。この二条件が満たされている事が分かるだろうか。

与太話

精神に問題があると外見もキモく思われるのも(本質的絶対的にキモいかどうかではない)、人類に備わった防御機能なのかもしれないね。味覚の苦味は毒の判定である様に、嫌悪感は視覚で毒を判断する反応って事。

才能というものは絶対で残酷である

音楽の才能がなかった音楽の世界では生きていけず、運動の才能がなければスポーツの世界では生きていけない様に、人間が生きる為に必要十分な尊厳みたいなものが精神でできている以上、精神の才能がなかったら、生きる権利なんてどこにもないよ。