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自分、無粋ですから

それを言っちゃあおしめえよ。

本当にキモければ大人は無視する。誰だってそうする。

マッチョとウィンプ

たまごまご氏とululun氏による超兵器の撃ち合いか。いや、前者が経済兵器で、後者が物理兵器だな。たまごまご氏も一定の権威がある人物なので、それが加わって経済兵器でも物理兵器に対抗しうるという構図になっている。
しかしこれは、結局表題通りマッチョとウィンプ論である。ネットがより即効で効果が出やすいだけであって、「キジも鳴かずば撃たれまい」なんて言葉は一体いつ出来たんだろうか?というぐらい普遍的な事として違いなく、構造上マッチョが勝つに決まっている。
何らかの集団には、常に

  • 一部のマッチョ
  • 一部のウィンプ
  • その他大勢

が分布しているが、その他大勢はマジョリティであり、マジョリティはそれだけで「数」という強みを持ったマッチョである。しかも、集団維持には構造上必ず最後はマッチョ論が必要(でないと少数のために多数が全滅する)。故に、絶対的にマッチョは強いのである。
ウィンプをどうするかという問題は、常に「人間性」などの類に頼って、「マッチョ側がどこまでそれをボランティアとして許して認めてやるか」の話に尽きる。
この原則が壊れることは、おそらく絶対にない。(ウィンプが逆転したら、その時点でもうマッチョなので)

オタクという社会的マイノリティの実際の所

一般的な男性ヲタやネットユーザーには腐女子に暗黒イメージが先行している人も多いと思うけど、オタク業界の辺境にダラダラ長くいながら界隈を見ていると、活動ジャンルが相当マイナーでもない限り、だいたいどこも同じである。
またオタクを外から見ている人は、オタクは社会の爪弾き者の似た者同士集団の様にぼんやり思っているかもしれないが(そういう人が集まりやすいことは肯定する。現在主流のオタクの源流をたどると子供や若年層向けコンテンツ由来からの変異には違いないから、確率は一般よりも高い)、実際にはオタクにもちゃんと社会もコミュニティも存在していて、そこでの生活にはコミュニケーション能力がそれ相応に求められる。精神的な大人もいればダメ人間もいて、マジョリティとマイノリティ、マッチョとウィンプとそのほか大勢の構図、村社会や爪弾きだってちゃんとあるのだ。
もう一つ加えるなら、今回の議題の件を作り手とユーザーの構図の様に思っている人もいるかもしれないが、マッチョは作り手にも大量にいる。というよりも、製作は社会活動なので、社会活動に共通する壁は同じ様にあり、それを乗り越えて人間的に成長するのが製作者としても普通であり、結果として何だかんだ言ってマッチョ論と自分の心との折り合わせをつけて行き、出来なかったダメ人間は排除される。
別に製作でなくてもいい。ただのコンテンツ消費者オタクとしてでも、他のコミュニティとの接点が出来ればそれは社会活動になるので、結局同じ様にすり合わせを行う必要が出る事になったら、結論も同じである。

力と社会的コンセンサス無くば愛を叫ぶことはできない

力は自分が直接持つ物ではなく他人の庇護による物でもいい。
自分は少し前にこんなエントリーを起こした様に

天性のマイナー体質だから、ポジションはたまごまご氏から権力や権威をゼロにした様な存在だが、「晒されたもの負け」な世界の仕組みが変わる日は来ないと思うよ。氏もそんなこと分かってて書いているだろうから、無粋で野暮だけど。
それが限定的に可能なのが、当人以外の力で一定の庇護が保障されている片隅に作られた小さなコミュニティ内。それは平坦なインターネットのど真ん中にも作成できる。パスワードで鍵を掛けるとかではなく、参加者が多いとかフィールドが広いことに紛れて活動することもできる。データ量に対して検索力の方が負けるからだ。今の所、インターネット上のどの世界でも一定以上大きくなると検索力が負けて、紛れることができる様になる。データ量の増加の方がイタチごっこで先行するので、おそらくこれは永久に逆転しないだろう。
それをその他大勢のマッチョが見た時にどうするか、

生殺与奪権はマッチョ側にしかないのだ。

余談

光が強ければ強い程影は濃くなるのは自明なわけで。

光が強ければ強い程「本影」は濃くなるかもしれないけど、周囲の反射で影になってる部分は狭くなるし、光が弱くなればそこにはほとんど影しかない(陰の方が適切な漢字かな)。