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自分、無粋ですから

それを言っちゃあおしめえよ。

核家族化の限界

パラサイト再分配については、少々思う所がある。
鍵は「核家族化の限界」だ。
現在はあまり意識される事がなくなった昭和中・後期の言葉に「核家族」がある。好景気の時代に雇用が多く生まれる都市部への人口移転によって、国内の「家庭」の総数が増える現象だ。さらに現在起こっているのは、核家族に昇華できなかった単身世帯の増加である。
これ、3つ前のエントリーに書いた、集中と分散の要素を含んでいる。

核家族化とは、つまり家計の分散である。利点も欠点もまったく同じ様に内包する。
この反対の傾向がパラサイトであり、パラサイトとは言うが子が就労者の場合は家計共有とも呼べる。これを。私は平成時代への適応によるものではないかと考えている。
婚姻率も下がっており、パラサイトな子はたいてい孫を産まない事になるが、それすなわち人口縮小へのソフトランディング手法としては、実かかなり優れているのではないだろうか。ハードランディングが好ましいと考える人にとっては居心地が悪いだろうが、消費傾向が徐々に縮小する傾向となるので、一気に頭数を減らし、そのカバーに移民ぶちこんで経済を爆発させるなんて事はない。


そもそもこの家計の分散化、景気が良ければ分散で発生する追加コストをカバーできたのだが、今となっては景気がそれを支えることができず、昭和時代に生まれた精神論を残すのみとなってしまった。
後から後から勝手に仕事が沸いてきて、持っている資産の価値が勝手に上がっていく時代は終わり、食うには困らないが生きるに苦しい時代において、ここまで生き方に過去の成功論そのままの物を求められるのは、一種の病理だなとしか言いようがない。
特に、効率が大好きな人たちがこの辺りにまるで言及しようとしないのは、実に根深いものなのだなと思う。やはり「気持ちの問題」なのだ。まあ、下見て暮らすにはいいダシか。脳内ソースで欧州では云々とかも言いやすいし。

補足

核家族と呼べるものは昔から形態としてあったとは言うが、社会の情勢も含めた相似性が明確に見られるのは明治後期から昭和初期にかけての流れだけである。なおかつ、核家族二世がさらに精神論に流されるままに核家族または単身化しているのは現在だけだろう。これは、寿命が延びて上がなかなか死なないということも関係する。
また、核家族の元々の定義には親とその子の同居を含むが、このエントリー内では、いわるゆパラサイトと呼べる状態の子がいる場合は核家族の範疇から外している。