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自分、無粋ですから

それを言っちゃあおしめえよ。

「無職は悪」という考え方で、働く人は死ぬことはたいしてなかった

「無職が悪」というより「多数派に迷惑をかけるのが悪」の一環だろう。いや、「少数派は悪」という方が、当ブログ内エントリーの全ての基調になっているのでいいだろう。いつか自分がそうなるかもしれないというのはよくあるカウンターだが、いつかはいつなのか?ということが、そのカウンターが効くかどうかのポイントとなる。

はっきり言えば、元エントリーなんて「死ぬ死ぬ詐欺」の様なもので、実際そんなには死んでいない。警察が交通事故死亡者数をものすごい倍率で発表して、その数字を元に特別警戒と言っているのと同じで、掛けられる数が小さくてはグラフが急峻になるのも当然である。数がうなぎのぼりと言っても、そんなに君たちは隣人の死を体験しているだろうか?「あの人もあの人もみんな過労死で死んだ」そんなパニック映画の様な出来事が身の回りで起きているだろうか?

それが身の回り起こっていないことのは、それが現実に起こっていない都市伝説であることを意味はしないが、それがマクロ的に意味を持つほどは起こっていないと解釈しても差し支えはない。

しかも、「あ、そういえばあの人やめたな」なんてのはあるかもしれないが、印象に残るやめた人は会社から見てだめな人ってことが多かろう。

今、一番端的に同感を得られやすいのは中心的な存在になった(なりつつある時代は終わっただろう)氷河期世代の境遇だ。あんなに問題とする声があったが今はこの有様。なぜなら大半は結局生活ができてしまっているからだ。落伍者を氷河期世代内で叩き合う内輪もめの時代はもはや過ぎ去り、存在を無視できる程度にすらなってしまった。現在の20代後半の無職に対する考え方(極端に言えば、無職は自己責任かつ当人が異常なだけというもの)のベースにもなっており、順調に裾野を広げていたんだなという感が、ここにきてある。

一般に人間は意外と強い。いや、意外と思う人が少ないほど、人間は強い。弱い人間とはほとんどフィクションの中の物であり、現実に居ても結局社会にとって不要でこれをつまはじきにしても社会が傾かない程度にしかいない。見えないレベルなのだ。


私は、セーフティネットの充実(つまり失業保険や生活保護などの強化)よりもワークシェアリングの方が机上の理論としてはうまく回しやすいと考えている。セーフティネットの充実は個人当たりの固定人件費が上がってしまうので、これを抑える方向に少し舵を切りながら(民間に多少飛ばしてもいい)、多少なりとも公が強権的に企業に国民を雇用させる様にしなければいけない。

これは一見進歩的でも酷い規制でありかなり保守的な発想だと思うが、日本の労働環境の基本は属人化であり、もっともっとも内向きで保守的なので、シェアリングに対するコストがかかりすぎて立ち行かないだろうな。

雇用させる様な政策は、実は近年あった。そうだ、非正規雇用の開放政策だ。あれは公による強制ではなく民に任せる方向だったが、あれはいい政策だったのだ。今、あれは悪だと思っている人は結構いるだろうが、そう思っている人は、当時他にどういう解決策を望んでいたのだろうか?雇用を増やす政策が他にあったのだろうか?そうではなく雇用を増やす政策が間違っているとするなら、何がよかったのか??
あれを間違った物に見える様にしたのは、自分が痛いのはいやな国民の大半が、その後の政策を誤らせる方向に、従来の非正規雇用に対するイメージをそのまま持ち続けて煽ったからにすぎない。誰も自覚がないだけである。

どこかの早い段階で

  • 非正規雇用を正規化する様に正規化コストを下げる
  • 非正規雇用でも石を投げられない程度に生きていける階層を新設して、それで回転できる経済圏を作る

のどちらかが必要だったが、コスト上がりっ放しのまま、インフレ、も起こらず、ひたすら内紛とデフレを続けてきた結果、とんでもない物量の国内資産だけで生きている状態が維持されたのである。皆が(消極的に)望んで。

言っておくが、バブル世代はもちろんそろそろ氷河期(=団塊Jr.)世代も既得権益を得た資産持ちの階級になるのを忘れてはいけない。片足を団塊世代と同じ領域に突っ込みかけている。もう若くないのだ。円高などを見てインフレが自分の資産を目減りさせることを理解し始めているはずだ。

首都圏で大量に核家族を形成しているこの層が、どういう行動に出るかは、わかるな?


労組には死を与えることを、20世紀末以降の日本国民は選択した。自分のことはでやる。できないやつは異常。それが日本国民の下した判断だ。